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今回は、戦後日本経済の復興と独特の株式市場についてのお話です。

戦後も維持された日本の経済構造

 戦後の日本経済の特徴として、官僚主導、重工業中心、大企業中心、間接金融(銀行融資)中心、終身雇用、年功序列などが挙げられますが、それらは第二次大戦直前の「国家総動員法」で、軍需物資の生産のために完成しました。

1945年に日本は戦争に敗れますが、矢継ぎ早に改革指令を出したGHQ最高司令長官、マッカーサー元帥も経済構造はほとんど変えませんでした。日本経済を戦災から早く復興させるためだったと言われます。


「護送船団方式」に代表される独特な経済

 日本経済は戦災からの復興を成し遂げ、高度成長時代に大きく発展しましたが、戦争遂行のために作られた経済構造はその後も長く生き続け、アメリカなどとは異なった独特な経済ができました。

その一つが、監督官庁が外国企業の参入を阻むなど規制をかけて業界を指導し、一人勝ちする企業も落伍する企業も出さない「護送船団方式」です。自由競争とは全く異なる環境のもとで、国民一人ひとりの経済格差が小さい社会ができました。


企業買収は「敵」?

 東京証券取引所は1949年に再開され、株の取引が復活しました。しかし、アメリカでは日常茶飯事だった株を買い集めて企業を買収する行為は、日本の中堅以上の企業ではほとんど見られませんでした。それは企業どうしがお互いに株を持ち合い、買収されるのを防いでいたからです。

株主総会も全議案可決であっと言う間に終わります。護送船団方式にとって企業買収は「敵」でしたから、監督官庁にとってもそれは望ましいことでした。


「株」が軽視されたわけ

 「株」が戦後の日本経済で、他の先進国よりも軽く見られていた最大の理由は、企業が資金を調達するとき、その大部分を銀行からの貸付に頼っていたからです。

たとえば新工場を建てるとき、投資家に募集をかけて新株を発行するような直接調達よりも、銀行の幹部に頭を下げて融資を受ける間接調達のほうがずっと重要でした。


「預金は堅実、株はギャンブル」?

 高度成長時代は一般市民も株を軽視し、資産運用の脇役でした。「銀行はつぶれない」という安全神話があり、元本保証に上限なし。定期預金は1年で3〜6%の利子がつき、おまけにマル優制度で非課税でした。株は元本保証ではない上に売買手数料がけっこうかかり、値上がり益にも配当にも課税されますから、歯が立ちません。

「預金は堅実、株はギャンブル」という偏見が生まれ、個人投資家は色眼鏡で見られるようになりました。


〈次回予告〉
次回は、欧米で発達した金融技術とファンドの隆盛のお話です。

寺尾 淳(てらお じゅん)
同志社大学法学部卒。経済関係出版社勤務等を経て86年からフリーランス。86〜92年「週刊現代」「NEXT」で主に経済記事を執筆。92年以降「Forbes日本版」を中心にビジネス雑誌の仕事を続ける一方、単行本も10冊以上出版している。更に詳しく
イラスト/ヨツモト ユキ
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