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今回は、隆盛を誇る現在のアメリカの株式市場ができるまでのお話です。

世界大恐慌と「ニューディール政策」

 戦後の日本経済は特異な発達を遂げましたが、実は、アメリカにも戦後の日本に近い経済体制だった時期があります。1929年10月のニューヨーク市場の株価大暴落に端を発した世界大恐慌から立ち直ろうと、F・ルーズベルト大統領が採用した「ニューディール政策」がそれです。

「大きな政府」が積極的な財政支出を行い、産業界にも介入して需要と雇用を創り出そうとしたので、自由競争は制約を受け、株式の存在感は薄まりました。


大きく低下した世界通貨ドルの価値

 ニューディール政策はある程度の成果をおさめたので、第二次大戦をはさんで戦後のアメリカでも経済政策の基本として受け継がれます。しかし、米ソ冷戦の軍拡競争、ベトナム戦争への出費などが重なって財政赤字が拡大し、ヨーロッパ、日本の躍進やインフレも手伝って世界通貨ドルの価値は大きく低下します。

70年代後半には自動車など代表的な産業も勢いを失って失業率が高まり、アメリカ経済は「病人」視されるようになりました。


「レーガノミクス」と「ファンド」の登場

 その病人に荒療治を施したのが、1981年に就任したレーガン大統領です。レーガノミクスと呼ばれる経済政策は、ニューディール政策の逆をゆくものでした。財政支出を抑えて減税をする「小さな政府」は産業界にあまり介入せず、規制を緩和して自由競争に任せます。

その規制緩和の恩恵をたっぷり受けたのが金融業界で、自由化でさまざまな金融商品、金融手法が登場し、80年代後半には「ファンド」が表舞台に登場します。


金融テクノロジーの発展と市場の活性化

 世界中から資金を集めて運用し1ドルでも多くの利益を追求するファンドは、株式市場を活性化しました。1987年10月のニューヨーク市場の株価大暴落「ブラックマンデー」で痛手を受けますが、1989年に冷戦が崩壊し、資本主義の市場が一気にひろがるとますます急成長します。
当時、「平和の配当」と言って軍事技術が民間に移転し、デリバティブと呼ばれる高等数学を駆使した金融テクノロジーが発展したことも追い風でした。


主役に躍り出た個人投資家たち

 インターネットが登場し「IT革命」が叫ばれた90年代、アメリカの株式市場は膨張を続け、ニューヨーク市場は史上最高値を更新し続けます。その主役は、儲けるために企業買収までするファンドと、ネットを活用してプロ顔負けの技を駆使する個人投資家でした。

さまざまな経済事件も起きていますが、世界のマネー、株主を最優先に考えざるを得ない企業、ファンド、個人投資家を巻き込みながら、今日も猛スピードで動いています。


〈次回予告〉
次回は、日本のバブル経済から現在までのお話です。

(2006.8.3)

寺尾 淳(てらお じゅん)
同志社大学法学部卒。経済関係出版社勤務等を経て86年からフリーランス。86〜92年「週刊現代」「NEXT」で主に経済記事を執筆。92年以降「Forbes日本版」を中心にビジネス雑誌の仕事を続ける一方、単行本も10冊以上出版している。更に詳しく
イラスト/ヨツモト ユキ
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